2015年01月27日

姓 名 判断 その1

姓名判断(せいめいはんだん)とは、人の姓名から

その人の性格、
人生の趨勢、
適職、
恋愛の傾向、
結婚運、家庭運、
かかりやすい病気 等など、

一般に運勢として総称される事柄について解釈を与える占いの手法の一つなのですが・・・

生まれて来て与えられた「 姓名 」によって、運勢が決まっているなんて考えるのは恐ろしい気がしませんか?

親として自分の子供には素晴らしい運勢を授けたい
というよりも
「素晴らしい運勢を授けなければならない」という使命感を
感じて「名づけ」をするのは当り前のことでしょう。

さて、人の姓名なるもの自体、昔の教科書では、
「 明治維新までは、一般庶民に名字が無かった!」などと書かれていたような気もしますが・・・

調べてみると、どうやら根拠不足の大嘘のようです。

古代に遡ると、ヤマト王権なる国家への貢献度や、朝廷政治上に占める地位に、応朝廷より氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名が授けられたそうです。

氏姓は、元来はヤマト王権を構成する臣・連・伴造・国造などの支配階級が称したものだそうで、

大化の改新の後は、戸籍制が導入され、一般民衆にまで拡大、すべての階層の国家身分を表示するものとなったとあります。

氏姓を有しない者は、天皇をはじめとする皇族と奴婢のみだったとあるから驚きではありませんか!

この時代に画数を基準とする姓 名 判断があったとすと、数字という概念が無かったであろう庶民には、手の届かないものであったでしょうね。
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2009年09月20日

姓 名 判断 その2

時代は飛んで、江戸時代になると、寺院の寄進帳には、その村の全ての農民が名字を記入している例が大半で、小作人までもが名字を持っていたという文献も数多く残っているそうです。

一部には名字を持たなかった庶民、何らかの理由で名字を失った庶民がいたとも想定されています。

明治維新直後、明治3年(1870年)9月19日の「平民苗字許可令」さらには明治8年(1875年)の「平民苗字必称義務令」により、国民はみな公的に名字を持つことになりました。

この辺りが、「 明治維新までは、一般庶民に名字が無かった!」の根拠のように思われます。

面白いのは、「平民苗字許可令」直後で、公家出身のほとんどが藤原姓、武家出身がほとんどが源姓 を名乗ってしまったことです。

明治4年に、姓尸(セイシ)不称令が出され、以後、日本人は公的に本姓を名乗ることはなくなりました。

この時点で、いわゆる、本姓は「姓」、氏および名字は「苗字」、かばねは「尸」というように分類されました。
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姓 名 判断 その3

この「姓名判断」なるもの、一般の人間が「姓名」をもち始めてから本格的に行われるようになったもので、

、熊ア健翁によって広く世に広められ、教科書的には熊ア氏が姓名判断の源流であると広く認知されているそうです。

熊ア健翁氏は1882年生まれで、教員を勤めた後、1902年、中京新聞社に入社し、このころから易学の研究を始めます。

1904年には、今日の速記法のもととなる熊ア式速記を発表します。

「熊ア式姓名学」を考案して、これを女性向け月刊誌「主婦之友」で発表したのは1929年でした。

同年に、「姓名の神秘」が出版され、大ベストセラーとなり、現在でも姓名学のバイブルとして発行され続けており、30版目を数えるというから驚きではありませんか!

これ以来、運命学に基づいて命名する文化が日本全国に定着することになったようです。

この様に書き進めると姓名判断の理論を開発したのは、熊ア氏のようになってしまいますが、熊ア氏が姓名判断理論の開発者でないそうです。

明治時代に活躍した易者「林文嶺」と言語学者「永杜鷹堂」が理論化したものを学び、その理論を大衆向けに、よりシンプルにしたものが、熊ア氏の姓名学であるようです。

「姓名判断」という語感からは古めかしいものを感じますが、日本に於ける「姓名判断」とは、誕生して未だ一世紀も経っていない比較的に新しい占いと言えるでしょう。

一般的には、人の姓名の字の画数から5つの格数を算出し、その算出された格数に与えられた伝統的、経験的な解釈に基づいて判断(解釈)を行います。
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